中学受験を終え、家庭のいろいろが落ち着き、腰を据えて特性について向き合う時間ができたおかげで、ここ1年ほどで息子への理解が深まったと実感しています。腹に落ちたというのでしょうか。
そのことをプラスに受け止めている半面、もっと早い段階で特性への理解を深められていたら、息子にしてあげられたことがたくさんあったのではないかと自責の念にも駆られていました。
そんな中で、最近ちょっとショックなことがあり、ここ数週間は悲嘆にくれていました。
昭和的に表現するならガビーン!!!です。天井から金だらいが30個降ってきたくらいの大ダメージを食らいました。
ASDっ子当事者のための医療サービス、今さら、ウソでしょ!?
我が家の場合、息子の診断が下って、医療機関とちゃんとつながったのが中学年でした。遅いほうかもしれません。
その後まもなく中学受験へと突入してしまったので、親子共々、ASD特性とじっくり向き合ってSST(ソーシャルスキルトレーニング)やペアレントトレーニングなどをする余裕は正直ありませんでした。でも、医療機関とつながって、月に1回程度は臨床心理士さんと会うというプログラムに参加しているし、大丈夫だろう。
そう思っていたわたしに衝撃が走ったのは、先日の面談のときのことです。
わたしの特性理解の範囲や深度にまだまだ課題があると話をしたとき、担当の臨床心理士さんが思いもよらない言葉を口にしました。
「●●●プログラムが受けられたら良かったですね。」
「え?!!!!!!!!!!!!!!」
そういうのを組み立て、教示し、導いてくれる立場の人だと思っていたので、そのポジションから話しているようには到底思えないその発言に混乱しました。
ご本人にその発言の真意を尋ねると、そのプログラムはもっと幼少期の親子のためのものだという趣旨だったようです。でも「あぁそういう意味ね。」では済ませられませんでした。
気になったのはそういうことではなく、わたしの思っていた立ち位置に臨床心理士さんがいないような気がしてならなかったということなのです。
別の臨床心理士さんに、このことについて聞いてみたところ、やはり、わたしの勘違いだったことが判明しました。
わたしは、ASD当事者向けのプログラムに参加していたわけではない。
臨床心理士さんはわたしの思っていたポジションにはいない。
なかなかつらい現実です。衝撃でした。
ASDっ子ママ、医療サービスとの付き合い方についての後悔を語ります
臨床心理士の先生曰く
発達障がいの専門医療機関であっても、あくまでも医療機関(であり、積極的なサービス提供をするわけではない)。
「痛いんです。」「じゃ、薬を処方しましょう。」
そういうやりとりをするところ
そういうことのようです。
息子の場合、服薬までは必要ないと判断があったようで、処方はない。
でも月に1回程度、ASDっ子育ての相談を受けてくれていた。
わたしが望むから、その機会を設定してくれていたということだったようなのです。
親切です。ありがたいです。でも、積極的な関与ではなかったなんて。
それを今さら知ったこと、気づかなかった自分、いろいろ衝撃的すぎました。
発達障がいの専門医療機関のアプローチ(サービス)がどんなものなのかなど、素人は知る由もありませんから、疑問を抱くこと自体がまず難しかったです。
こういうものなのだろう
と思うしかありませんでした。
でも、今回のことで、これまで漠然と感じていた疑問や違和感がすべて腑に落ちました。
臨床心理士さんとの面談が、わたしの質問ありきで進むことにずっと違和感を覚えていました。(なぜ、もっと主体的に教えてくれないんだろう??)
ネットなどで特別支援学級の教員などの養育者向けの資料などを読んで、「こういうのを教えてくれたらいいのにな。」と思っていました。でも実は、
教えてくれる人ではなく、答えてくれる役目の人だった
のです。なんてこった。。。わたしの質問ありきということです。
わたしの質問ありきというのも、なんだかなぁ。絶望的な気持ちになりました。
適宜、適切な質問を投げかけることができてはじめて有意義な場になるということに他なりません。
でも、どれが特性なのか?それすらわかっていないのに、質問ありきなんて厳しい現実です。
質問も出ないくらい分からないから、助けてほしかったというのが正直な気持ちです
一般社会でサービス業に携わり生きてきた者の感覚とは、まったく別の感覚で物事が進んでいたことに、気付いたのが遅すぎました。
プロフェッショナルとしてのサービス提供のあり方の認識に大きな大きな溝があったのです。
(そもそもサービス提供者ではなかったのかもしれません)
わたしの肌感覚では、自分がどんなサービスを提供できるのかについては、提供する側(プロ側)が説明するのが当然のことと思っていました。
検査結果を踏まえて、ひとつひとつの特性について、
『こんなふうに日常で問題が生じる可能性があるので、こんなふうに対処してくださいね。』といったように、指南してくれるものという感覚を持っていました。
整形外科に行くと、必要であればリハビリを受けるよう案内され、リハビリを受けられます。
血圧が上がれば、運動療法や食事療法を具体的に指南してもらえると思います。
でも、そういうものとは明らかに違っていたということです。
発達障がい当事者向けの医療サービスが想像をはるかに超えて未成熟なのだろうことを、今さらながら身をもって知りました。
専門家が怠慢だとかそういう話ではなく、まだそういう段階だという話です。
もっというと、悲しい話ですが、この先も医療には期待できない民間サービスの領域なのかもしれません。
誤解のないように書きますが、決して臨床心理士さんを責めているのではありません。
わたしの失敗を通して知ってもらいたい思いでこの記事を書いています。
臨床心理士さんは、ご自分の責務を十分に果たしてくださっていたのだと思います。
認識に相違があっただけで、なんの問題も発生していない。
言ってみれば、“ないもの” を “あるもの”とわたしが思い込んでいただけの話なのだと思います。
『診断結果から考えたら、こんなプログラムを受けなさい、親御さんはこういうトレーニングをしなさい、これを読みなさい。』
そんなふうにしてもらえるもの、なんならしてもらっているものと思っていました(涙)。
我が家には必要ないから案内されないのだと。
でも、本当は、
自分で情報をかき集めて、息子の特性に合ったサービスを自らチョイスしなければならなかった
ということなのでしょう。
でも、それをするには、初期段階からASDに関する豊富な知識を持っていることが前提になるのではないでしょうか。ぶっちゃけ無理な相談です。
でも、やらなければならなかったのが現実なのですね。
医療機関から提供される、発達障がい者向けの体系化されたサービスはほぼない現実を今さら目の当たりにしても…後悔先に立たず。
ASDっ子ママ、臨床心理士さんのアドバイスでなんとか立ち直る
話を聞いてくれた臨床心理士さんから言われました。
「●●くんのことを考えて受験の道を選んで、がんばって取り組んだ。それ以外にSSTやら何やらをするのは難しかったでしょう?その時、その時、やれることを一生懸命にやってきたじゃない。」
確かに、あれもこれもはできなかった。
マイペースすぎる特性があっても気にならない校風の学校に見事合格し、のんびりと過ごす権利を息子は掴み取った。大きな問題がなければ、知った顔ぶれと一緒にこのまま大学まで行けるから、変化に弱い特性を気にすることもない。
直感的に志望した場所に、自分の力でたどり着いた息子の今を憂う要素は確かにありません。
最善だったのかは分からないけど、わたしも全力で向き合ってきた。
それだけは胸を張って言えます。
これまでプログラムやらトレーニングやらに時間を割けなかった分、今から全力でわたしが理解を深めて “静かに寄り添う力” を持てばよい。というか、それしかできない。そう思い直しました。
それに、どの道、息子がやるべきことなどなかった。そのままでよいのだから…そうでした。
まとめ 失敗したASDっ子ママからの、失敗しないためのアドバイス
最後に言いたいのは、これを読んでくださっている方のお子さんが、もしまだ幼いのなら、わたしの失敗からぜひ学んでいただきたいということです。
迷わずなるべく早く専門機関の門を叩いて欲しい
→小さいうちであれば、発達にプラスに働く、親にできることが多いから。専門家から知識を得ることにデメリットはありません。
→特性の理解がある親に育てられるのと、特性の理解がない親に育てられるのでは、子どもの幸福度、安定度が違うと思うから。少しでも早く特性を理解した親になりたかった。それがわたしの最大の後悔です。
与えられることはないという前提で、自発的・積極的に動いてほしい
→専門機関とつながったとしても、我が子に合わせた情報やサービスが与えられることは保証されていません。ご夫婦で協力して積極的に情報を収集し、行動してください。
特性への理解を深めて、大人が子どもたちにとっての“優しくて快適な環境”となれますように。
これまでの子育ての学びや気付きをこのブログでご紹介することで、同じ境遇の方のお役に立てたらうれしいです。