二次障がいを知ることは、ASDっ子の親御さんには重要なことだと思います。
二次障がいの予防に役立ててほしいと思い、ちょっと勇気を出してこの記事をアップします。
わたしは、発達障がいの二次障がいというのは脳の特性から、発達障がいとセットになって出やすいもの、自然発生するものというようなイメージを勝手に持っていたのですが、それが勘違いだったことに最近気が付きました。
わたしの実体験を通して、詳しく説明していこうと思います。
わたしの実体験 ~疎まれた幼少期 その影響としての二次障がい~
わたしには、妙にハッキリと残っている記憶があります。
少し黙ってなさい!
しつこい!
あっち行ってなさい!
こんなセリフが記憶として鮮明に残っています。
たぶんいろいろなことが分からなさすぎて、純粋に質問したかっただけなのだと思うのです。
記憶に残った理由は、あまりに言われすぎたからなのか、深く傷ついたからなのか、それは自分でも分かりません。
幼少期から随分長いこと、
わたしのなにがいけないのか?
どうすれば愛されるのか?
そんなことばかり考えて過ごしていました。
一生懸命に勉強したり、
必死で親に気を使ってみたり、
家事を手伝ったり、
それでもいつも邪険にされていました。
※当時は邪険にされているとは気付かず、怒られている(なにか悪いことをした)と思っていました。
邪険にするというのは嫌悪感の表れであり、感覚的なものなので、具体的になにがどうということではありません。だからなにがイケナイのかは親自身も説明のしようがなかったかもしれません。
不幸なのは、わたしの場合、頑張れば頑張るほど、長女としての責務と期待だけをどんどん背負わされる羽目になったことです。
褒められることはあっても、かわいがられ、満たされるような幸福感は得られませんでした。
わたしには妹がいるのですが、
勉強ができなくても、
気を使わなくても、
家事をまったくしなくても、
妹はそれを得ていました。
この差はなぜ生まれるのか?
わたしの一体なにがイケナイのか?
そればかり考えていました。
でも、わかりませんでした。
勉強はしていたので、成績は良かったです。
運動もできるほうだったかもしれません。
それからプライドが高かったので、今でいう陽キャを演じていました。
でも、自尊心も自己肯定感もぜんぜんありませんでしたので、いつもビクビクして生きていました。
なぜなら…
親だけでなく、皆も自分を好きではないんじゃないかとか。 こんなことしたら、どう思われるんだろうとか。
そんな風に他人の目を気にせずにはいられなかったからです。
そして、わたしは高校生になり破綻しました。
当時のわたしの精神状態は以下のようなものでした。
- 不眠…布団に入っても朝まで一睡もできないことはザラ
- 自律神経失調症?…吸っても吸っても息が苦しい、空気が入ってこない感じ
- 不登校(軽め)…寝ていないので活力がありません。また、ビクビクしているととても疲れます。楽しそうな人たちを見るのも苦痛でした。
- 激しい不安感…いつも、みんながわたしを良く思っていないような気がしていました。
- パニック…ある日、突如みんながこっちを見て嘲笑しているような気がして、世界がグルグル回りだしました。怖かったです。でもこの1回きり。
わたしの体験からの気づき・ASDっ子の子育てへの教訓
なぜ、わたしは、煙たがられていたのか?
その答えを、母になり息子の子育てを通して知ることとなりました。
わたしは、ときどき息子を邪険に扱ってしまうことがありました。
なぜかというと、息子は間が悪かったり、こだわりのせいでしつこかったりするため、わたしに余裕がないときに、自分を制することができずに邪険にするような態度を取ってしまっていたのです。
ある日、昼食の直後に『今日の夕飯なに?』と聞かれ、心底ウンザリして疎ましく思ってしまいました。
これも特性(おそらく見通しを立てたい)で、頻繁にご飯の確認をするのですが、コロナ禍でやたら皆が家にいて四六時中ごはんを作っているような日々に嫌気がさしていたので、食直後になんでまたご飯の話!?と苛立ちをぶつけてしまったのです。
もちろん、息子にはなんの悪気もありません。
それはわかっているのに。。。
あとで反省しても、してしまったことは取り消せません。
こういう小さな積み重ねが、子どもの心を深く傷つけるんだよな… 突如として、記憶が甦りました。
そうか!特性があったから、わたしは邪険にされていたのか!
おかしな話ですが、かわいがられなかった理由が分かって、とてもスッキリしました。
そういえば、わたしもよくご飯のことを母に尋ねていたのです。
本当に食いしん坊だったので(食べることで発散していたのでデブでしたし)、息子の比にならないくらい、しつこく聞いていたかもしれません。
息子の特性を学ぶにつれ、実はわたしにも特性があるなと感じていたのですが、特性があったと想定すると、母の邪険な態度もすべて説明がつきます。
わたしは相手の状況や気持ちを察する力が弱く、知りたいときに知りたいことを納得するまで聞きにいっていたのでしょう。
当時、発達障がいなど世間には周知されていませんでしたから、特性ゆえのものと理解を示すことなどできず、困った子どもの扱いに母は辟易していたのだろうと妙に納得しました。
また、単純に末っ子の妹がかわいかったのでしょう。ここで詳細は書きませんが、長女という理由で、あらゆることについてかなり理不尽な我慢を強いられるような、なかなかの胸をえぐられるエピソードがたくさんあります。そこに対比があったので余計にわたしはつらかったのです。
つまり、高校時代にわたしに表出した様々な症状こそが、いわゆる二次障がいだったのだと気付いたのです。
このフラッシュバックをきっかけに、特性ゆえに虐げられたり、蔑まれたりするような経験が長期継続することで、心の傷が悪化して大怪我になってしまったのが二次障がいなのだと腑に落ちました。
※フラッシュバック:息子を通して自分の記憶が呼び戻されて追体験したこと
それまで二次障がいとは、例えば風邪の発熱に伴う咳や鼻水のような、発達障がいに付随して出やすい症状…くらいに認識していました(生まれ持った脳の性質で鬱を発症しやすいとか、そんなイメージ)。
でも、そうではないのです。
発達障がいであろうと、大きなストレスがかからなければ二次障がいなんて生じないのです。
定型タイプとそこになんら変わりはありません。
特性について理解を得られず、継続的に責められたり、叱られたり、疎まれたりすることで起こる、こころの怪我なのです。
発達障がいそのものの問題ではないということです。
わたしは、息子に同じ思いを絶対にさせてはいけないと強く思いました。
特性を本質的に受容できるように理解を深めて、たくさんの愛を伝えていこうと思います。
安心して生きていけるように、楽しい思い出をちゃんと残せるように。
これまでの子育ての学びや気付きをこのブログでご紹介することで、同じ境遇の方のお役に立てたらうれしいです。