今回のテーマは、ASDの人からは感じにくい“親切さ”についてです。
診断されたときに、息子の特徴として受けた説明の一部で、創意工夫の困難が指摘されていますが、今回のテーマである“親切さ”は、創意工夫の親戚のようなものだとわたしは思っています
定型発達の人なら難なく発想できる、ちょっとした気づき、工夫などになかなかたどり着かない。視点を変えるのが難しい。見よう見まねが難しく、定型の人からすると信じられないようなことでも、一から教えてもらわないとこなせない。定型の人が無意識にこなすレベルに至るには、様々な努力が必要な場合がある。創意工夫の創意が難しい。
創意工夫が難しいことについては、別の記事でご説明しています。
【ASD特性例】親切にする…は難しい
親切とは、“相手のため”により良い選択をしようとあれこれ模索することで、かつ相手からは言われていないけど自ら主体的に動くというところがポイントです。
いわば他者のための創意工夫です。
そのためには、相手の目線に立ってものごとを考えたり、新しい選択肢を発想するために視線(見る角度)を変えたり、素の自分の視点から意図して別の視点に移してものごとを考える必要がありますが、ASDタイプにはそれが難しいのです。
わたしがサービス精神を求めると、夫はよく怒っていました。
求められても、その意味・原理・方法がわからないからです。どうしようもないことについて責められていると思ったようです。
例えば、うちの夫(ASD濃グレー)の場合、お願いごとをしても、“頼まれたことをやる=完了する” 以上です。極端に言えば、言われたことは終わらせたのだから、なんの問題もないでしょ?!そんな風に見えます。
適当、やっつけ、そんな印象を受け、サービス精神などみじんも感じられません。
本当に優しくない!
長い間、そう感じていました。
彼は、温厚で自分から人を傷つけるようなことはしません。人柄で考えると優しい人なのに…
でも、それは行動には表れない。
なぜ??!
ずっと悩んでいましたが、息子の特性を深く知ろうとしたことで、夫のそれについての答えが見つかりました。
完了にプラスオンするという親切さ(サービス精神)を発揮するのは、ASDタイプには難しい。
- 相手の目線から考えるのが困難だから
- 素の自分の目線から、意識して別の確度に変えて検討するのが困難だから
適当に、最低限でやっつけようという意思があるわけではない。
親切と優しいは、似ているようで別物なのだと気付きました。
親切さでいえば、わたしは彼に圧勝ですが、どう考えても、彼はわたしより温厚で優しい人間だと思えていたので、この理屈で筋が通り、スッキリしました。
まとめ 親切を身に着けるためのアプローチ
“やさしく見えない人” が、必ずしも “やさしくない人” とは限らない。
なんだかややこしい文ですが、やさしく見える人が、本当に優しい人とは限らない…ですよね。
その反対です。
やさしさを表出させる術を持たない人がいる
ということなのです。あえて、表現ではなく表出と書きました。
国語の表現力のような磨けば上達するスキルの話ではなく、もっと根本的な脳の装備のお話だからです。
ASDタイプの脳は、スペック的にそういう機能は充実しておらず、他を得意としております。
そういう感じです。
例えば、息子はわたしに何かあると心配してすぐに駆け寄ってくれます。
複雑には表現できないけれど、小手先じゃない、性根のやさしさをちゃん持っています。
息子にどんな風にアプローチすると、持っているやさしさを親切な行動へ反映できるのかはまだ模索中ですが、これからもより模索していきたいと思います。ひとまず現時点でお伝えできることは…
お願いごとを終えたとき、もしもう一歩だったら、「ありがとう!次は〇〇なやり方をしてくれたら、もっと嬉しいな!本当にありがとうね。」などと、完遂のレベルや範囲に幅(選択肢)があることをインプットするのが有効かなと思っています。
あとは、少しでも親切さを発揮してくれたときに、大喜びする(成功体験として刷り込む)ことでしょうか。また、例えば…
『あなたはサービス精神が旺盛なタイプではないから、もし相手にガッカリされたときは、“細かいことに気が回らなくてごめん!察するのは苦手だから具体的に言ってもらえると助かるんだ。言われたことはちゃんとやるからさっ!”って伝えておくといいよ』などと伝授しておく
のも並行してやれることでしょうか。
うちの男性陣は優しくて、誠実ではあります。 してほしいことを明確に伝え、完遂してくれたら大いに喜ぶ。これが我が家にベストなあり方なのかもしれません。ないものを求めても仕方ありませんね。
これまでの子育ての学びや気付きをこのブログでご紹介することで、同じ境遇の方のお役に立てたらうれしいです。