ASDタイプに…教えるポイント、分かりにくくてゴメンなさい!リライトしました!
ASD特性

【ASD特性例】自分の気持ちが分からない

ASDの息子と噛み合わずに困惑と衝突を繰り返す日々でしたが、特性を理解し、きちんとサポートできる母になりたくて奮闘してきました。
これまでの子育ての学びや気付きをこのブログでご紹介することで、同じ境遇の方のお役に立てたらうれしいです。

今回は、ASDタイプの「自分の気持ちが分からない。」という特性についてお伝えします。

「自分の気持ちがわからない」とはどういうことなのか?分からないとどんな困り事があるのか?その特性とどんなふうに付き合うのか?我が家の取り組みをご紹介します。

ASDタイプは、そもそも自分の感覚に気付きにくい

身体に力が入っている、不快感がある、悶々としている、というような自分の状態に気付くことも時間がかかるようです。これは、やや特性ありのわたし自身にもよくありました。

例えば、傍で見ていた友人から「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。」と言われて初めて、他人に伝わるほどに全身を強張らせて拳を握りしめていた自分に気が付いて驚いたことがあります。言われるまで、まったく自覚がありませんでした。

息子の場合、感覚の気づきにくさの原因として感覚鈍麻も関係しているのではないかと思います。

息子は暑さ寒さの感覚を捉えることが難しいようで、小さい頃は気温に見合わないちぐはぐな格好をしていることがよくありました。今でも結構あります。
これは触覚の鈍麻ですが、身体状況に気付きづらい点では同じですので、自分の強張りや不快感などを捉えることにも、少なからず影響があるような気がしています。

自分の感覚を捉えることに、困難がない場合は恐らく、

無意識下で、自分の感覚を捉えて、自分の感情を認知して、状況に対処する

のではないかと思います。その第一段階である “自分の感覚を捉える” がそもそも難しいということです。

ASDタイプは、自分の『感情』に気付きにくい

自分の感情に気付きにくいというのは、主に負の感覚、感情を認識客体化言語化(概念化)することができないということです。

モヤモヤしている自分を察知(認識)して、「あ、私、なんかストレス感じてるな。」と客体化して、“さっきの〇〇に怒ってるんだな” というように、自分のモヤモヤに “怒り” というラベルを貼ることができないということです。

このような自分の感情を捉えるスキルがないと、実は対人面でとても苦労することになります。

例えば、不当な扱いを受けたときに、その場で毅然きぜんとした態度で相手に対することができるかどうかは、自分の尊厳を守ることや、その後の相手との対等な関係を維持するためにはとても重要ですが、それができないがために、相手にナメられてしまうということが起こりえるのです。

ここでポイントは、不当な扱いに、瞬時適切対応ができるのは、自己の『怒りの発生』を認識しているからです。

自分の中に沸き立った怒りを捉えられなければ、次のステップである “毅然とした対応” にはつながらないのです。

別の記事にも書きましたが、わたし自身、家に帰ってきてから何だかイライラしている自分に気が付いて、「なぜだろう?」と1日を入念に遡ってなぞり、どうにか不快感の原因に辿り着くということがよくありました。

もっと悪いと、とある人物と会う予定が入った直後から、なぜだか込み上げてくる嫌悪感に気付いて、その理由を考えに考えて、何ヶ月も経ってから、相手から受けた仕打ちに怒っていた自分に気付くなんてことも、ざらでした。

リアルタイムに対処することは、対人スキルで実は重要なことなのです。

相手により受けた不利益にその場で対処できないと、甘く見られたり、付け込まれたりする可能性があります。仮に、後になって気が付いた不当な扱いについて主張しようものなら、なんだか執念深い人のような位置づけにされてしまい、自分にとってより悪い状況に陥ってしまう可能性があります。

即時のリアクションは極めて重要なスキルであり、これが欠落していた自分に、若い頃かなり悩まされました。今でも、わたしは瞬時には反応することができません。これは、どうやら一生お付き合いしていくしかない特性のようです。

自分の気持ちが分からないというのは、どんな具合なのか?
次に、息子の身に起こった、自分が分からなかったエピソードをご紹介します。

自分の気持ちが分からなかった、ASDタイプの息子のエピソード

息子は中学受験をしたのですが、その候補である学校の説明会に連れていったときのことです。

終始勉強の話ばかりで、「あれ?大学の予備校の説明会を聞きにきたんだっけ?」と思うほどでした。楽しい学園生活が語られることはありませんでした。
当然息子はまったく興味を持てずに舟を漕いでいましたが、わたしも全く魅力を感じなかったので、失礼ながら起こそうとも思いませんでした。

説明会が終わって息子に感想を求めたところ、「とても良いと思った!」と言うのです。
「???」
「本当にそう思ったの?」と聞くと、そうだと答えました。

本人が希望していた学校なので、本人の気持ちを尊重したほうがよいと考え、初めは何も言うまいと思っていました。でも、興味関心を全く抱いていなかったのは、その様子から明らか…
やはり思い直し、しばらくしてからもう一度確認してみました。

母

あの学校に行きたい!ウキウキわくわくする!って気持ちになったの?

息子
息子

なったよ。

母

文化祭とか行事に一生懸命な学校がいいんだよね?そういう情報はなかったよね?どこらへんがわくわくしたの?

息子
息子

う〜ん。

母

ママは正直いって、ウキウキわくわくしなかったなぁ。

息子
息子

うん、確かに。ぼくもしなかった。

母

それって、本当に「とても良いと思った!」の?

本当に合格したい学校だった?

息子
息子

良くない。
行きたくない。

こんな具合でした。
こんなにも自分の気持ちを掴むことが難しいのだということを改めて実感しました。

以前から、自分の感情を捉えられていないことは、何となくは感じていましたので、何らかの感情を抱いてそうだなと感じたときは「悲しかったね」「ムカついちゃったね」などと、感情を表す言葉を代弁してはしていたのですが、もっと留意しなくてはいけないなと思いました。

自分が分からない失感情症(アレキサイミア)

最近、息子のASD特性について観察、考察していくうちに、ASDタイプの様々な困難の根幹にあるのは、心理的、身体的な目の使い方なのではないかと考えていました。特に心理的な視線の使い方が一方向のみでインタラクティブ(双方向)ではないことに起因するのではないかと。

視線を、自分を起点として外に向けることはできても、外から自分に向けることができない、つまり『客観視』が難しいことが様々な困難を生み出しているのではないかと思うのです。

そんな折、自分の感情に気付きにくい特性について、調べていたところ、失感情症(アレキサイミア)という言葉に出会いました。
発達障がいをお持ちの方や、アダルトチルドレンに失感情症の人が多いようです。わたしは、どちらかというと後者に起因している気がしています。

失感情症(アレキシサイミア)はシフネオスが提唱した性格特性です。自分の感情(情動)への気づきや、その感情の言語化の障害、また内省の乏しさといった点に特徴があると言われています。

厚生労働省 生活習慣病予防のための健康情報サイト e-ヘルスネット

読み進めると、以下のように、わたしの考察と極めて近いことが書いてありました。

最近の脳科学研究から、自分の内的な感情に気づき・表すことと、自分とは一端離れた視点(他人の視点に立つ)を持つこと=自分を客体化できることとが、実は密接に関係していることがわかってきました。感情の気づきの問題は共感性、また想像力・空想力などとも大いに関連しているのです。

厚生労働省 生活習慣病予防のための健康情報サイト e-ヘルスネット

ASDタイプは、“他者との対話” が得意ではありません。なぜなら対話とは、“相手の話を聞くこと” と “自分の話をすること” の連続体で、 “自分の話をすること” には自己分析、自己表現が必要で、それは自分を俯瞰で見る作業なくしては成立しないものだからです。

上記の引用にあるように、“自分の内的な感情に気づき・表すことと、自分とは一端離れた視点(他人の視点に立つ)を持つこと=自分を客体化できることとが、実は密接に関係している” のです。

自己分析とは、心理的な視線を外から自分に向け、自分の中に生じた感覚や感情を俯瞰で眺めて捉え、自分から切り離す、すなわち客体化する作業です。ASDタイプは、それができずに自己表現の手前の自己分析で頓挫とんざしてしまうということです。

感覚・感情を客体化し、ラベリング(名前付け)することで、概念として自分で捉えられるようになると、自分に生じた出来事を理解できるようになります。

ただし、リアルタイムでできるかどうかは別の話です。

特性をなくすことはできないので、リアルタイムでの対処は難しいかもしれませんが、タイムラグがあっても自分の感情を把握できるようになれば、次回以降、その相手への対応に備えることはできるようになります。それで、十分だと思います。

実際、わたしは『客観視』『客体化』という概念を得たことで、生きづらさが軽減した経験を持ちます。
自分の気持ちが分からないことにより、何に悩んでいるかも分からないまま、モヤモヤの中でただただ溺れるようにもがき続けていた混沌こんとんの日々から少しずつ卒業することができました。
以下の記事でも少しご紹介しています。

自分から切り離して客体化することができないと、負の感覚、感情はただ漠然と自分の内にとどまり、対処することができません。自分を捉えられないまま、感情の渦の中で翻弄されるだけの状態は、とても苦痛で辛いものです。

いつか自分を捉えるようになるために、お子さんに以下のような概念を持たせてあげることが極めて重要だとわたしは考えています。

  • 外から自分に視線を向けることを『客観視』ということ
  • 客観視ができると、自分の感覚や感情を、自分から切り離せること
  • 自分から切り離すことを『客体化』ということ
  • 客体化すると、感覚や感情を分析できること
  • 感覚や感情を分析できると、その感覚や感情を言語化できる(名前を付けられる)こと
  • 感覚や感情を言語化できると、思考の対象(概念)にできること

小さいうちは、理解を補助する図画で視覚化してあげたり、客観視や客体化、言語化までを共同作業にして、体感させてあげると良いと思います。

子どもの感情を察知したら言語化して、感覚的な感情にラベルをつける作業をコツコツ続けて、知っている感情の数を増やしてあげたり、自分で気持ちを書き出させて概念的に認知させたりすると良いのかもしれません。
少しずつ、感情のラベルを増やして、反応速度を高めてあげたいですね。

わたしも瞬時には自分が分からなくても、時間差があったとしても、自分を把握できるようになることを目指して、自分の感覚や感情が概念化できるまで寄り添っていきたいと思います。

それができるようになったら、次のステップで、自分に嫌なことをする人物への対応方法を教えてあげる段取りでしょうか。

いつか、その場で「やめてよ」「いやだよ」を、冗談を交えてサラっと表明できるようになれたらいいなと思います。

長い道のりだと思いますが、コツコツと。ともに。

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