ASDタイプに…教えるポイント、分かりにくくてゴメンなさい!リライトしました!
ASD子育て

【実例ブログ】ASDっ子育て つらさの正体

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ASDの息子と噛み合わずに困惑と衝突を繰り返す日々でしたが、特性を理解し、きちんとサポートできる母になりたくて奮闘してきました。
これまでの子育ての学びや気付きをこのブログでご紹介することで、同じ境遇の方のお役に立てたらうれしいです。

ASDっ子を育てていると、正直つらい気持ちになることがたくさんあります。
その『つらさの正体』は何だったのか?を改めて整理してみました。
引き続き自分自身が前を向いて進んでいくために。
また、同じ境遇にある方の参考になれば、うれしく思います。

わたしの『つらさ』はこんな感じでした

今でも感じますが、診断前には以下のような気持ちにさいなまれていました。

親子なのに、わたしが産んだのに、こんなに愛しているのに、なぜか理解しあえない。 
”理解してあげられていない” それだけは分かる。 
息子からも愛を感じている。 
お互い大好きなのに、どうして嚙み合わないんだろう??原因はなに?

“親子なのに” と思うと、余計につらさが増していきます。
毎日のように『叱る』⇒『後悔する』を繰り返していた日々は辛いものでした。

事あるごとに、本当にまだまだ幼い頃から、月齢に見合わない強い反発(に見えていた)。

わたしのことが憎いのだろうか?
愛が足りていないのだろうか?
わたしの子育ての何が間違っているのだろう?

『つらさの正体』は “わからなさ” と “自責の念”

結論からいうと、『つらさの正体』は “わからなさ” と “自責の念” でした。
診断前、息子の特性への理解がゼロだった頃、一体なにが起こっているのか?サッパリ分からずに困惑する日々。こだわりやパニック、ASDタイプの特性に無知だったあの頃は 単に“聞き分けのない子” に思えていたため、怒って、そして後悔しては泣いて。これの無限ループでした。

当時よりは特性への理解が深まった今、振り返ると “わからなさ” を構造的に見ることができます。
以下、具体例を交えてご説明しますね。

“わからなさ” の具体例と考察

“わからなさ” の具体例

“わからなさ” について詳しくご説明します。
例えば、子どもを育てる上で『叱る』という行為はそんなに特別なものではないと思いますが、息子の『叱る』に対する反応は、 “幼い子”と“親” との関係性でわたしがイメージしていたものとはまったく違うものでした。簡単に言うと、

“反撃” してくる

そんなイメージです。
『え゛、なんで??????????(こんなに小さい子がこんなふうに反撃する???)』
つまり “想定と違うので理解に苦しむ” という類の “わからなさ” なのです。

例) 想定と実際

《想定していた反応》 親:叱る ⇒ 幼子:泣く、しょげる、甘える
《実際の反応》 親:叱る ⇒ 幼子:怒る、言い返す

特性への理解が全くなかった頃のわたしは、《実際の反応》に面食らうとともに、ただ怒りを覚えていました(なんて子なのっ!)。それと同時に、はっきりとは理解できないものの “強い違和感” を覚えていました(一体どういうことなんだろう?)。

“わからなさ” の考察

  1. 月齢から考えたときの違和感

まずは、月齢から考えたときの違和感でしょうか。
思春期の子どもなら反抗もするでしょう。相手が今の息子なら何の違和感も覚えないと思います。でも、相手は2歳や3歳の赤ちゃんに毛が生えたような幼子なのです。

  1. いつものキャラとのギャップからくる違和感

次に、いつものキャラとのギャップからくる違和感です。
いつもはとても甘えっ子で、懐っこく、かわいらしい子なのですが、突如としてキャラ変するような違和感がありました。

“わからなさ” の考察 まとめ

今になって分析すると、こんな説明ができると思います。
上の 例) 想定と実際 の《想定していた反応》には、子のほうが “親には従うもの” という感覚を持っている前提があります。それに対し、《実際の反応》のほうにはそれがないということなのです。

ASDタイプは、立場をわきまえたり、関係性をつかんだりするのが得意ではありません。
まさにその特性の象徴的な表出の仕方だったのですね。

例) わからなさの裏側

《想定していた反応》
親子の関係性を踏まえている反応…育ててくれる人、守ってくれる人というバックグラウンドを踏まえて反応している。多少反抗したとしても「やっぱり従わなくちゃ」と思っている前提がある。
《実際の反応》
親子の関係性を踏まえない反応…親子関係の枠はすっかり取り払われ、“叱る人” 対 “自分”の関係性になってしまいます。もっというと、単に “自分を攻撃してくる人” “批判する人” への反応になります。

息子や夫のことを見ていると、ASDタイプは『点で見て、点で生きる人』なんだなとつくづく思います。

点でものを見ると他と関係性を把握しづらい図


毎日こんなに愛していても、かわいがっていても、チャラにされてしまうという感覚(笑)
戦いの場に、これまでの(良好な)関係性は持ち込まない…そんな印象です。
それはそれ、これはこれ。

息子がASDタイプであるという相違が存在することを知らないうちは、《実際の反応》の裏側にどんな事情が隠れているのか?なんて想像できるわけがありません。

『つらさ』から脱却できたのは、腹落ちしたから

診断を受けたからといって、すぐに “わからなさ” から解放されるわけではありません。
専門家という強い味方とのパイプができても、自分の理解力や分析力が飛躍的にのびるわけではないからです。

少しずつ理解を積み上げた今。
行き着いた結論は、

同じだと思うから、いつまでたってもかみ合わない。
同じだという前提で向き合うから、こちらもあちらも辛い。

『本当に違うんだ』

以上です。それ 以上でも 以下でも 以外でも ありません
ただそれを受け止める必要があるということです。
どれが違いなのか?どこに相違があるのか?を完全掌握するのは不可能で、そこを追い求めているうちは、理解は進まない…
把握しようとするのではなく、そのまま丸ごと、受け止める。
ただ違うということを認めて、尊重する。

そんなこと?と思われるかもしれませんが、『本当に違うんだ』が腹に落ちるレベルに至るのは、わたしにとってそう簡単なことではありませんでした。

こんな感覚ありませんか?

成長すればいろいろなことが分かってきて、自然と相互理解も進むだろう

わたしもなんとなくそんな感覚を持っていました。どこか楽観視するような。
でも、現実はそうじゃないと悟りました。
経験から学び取るのは、ASDタイプには難しい課題です。
息子が成長するにつれ、やりとりの嚙み合わなさがいつか解消するということはないのです。

まとめ

『つらさ』から脱却するための第一歩を踏み出したところで、思うこと。

自分に言い聞かせているのは…
そのままを受け入れて見守るのと、放置するのは違う。
そのことを忘れずに、

理解しようとし続けること
親として、この現実世界で生きる知恵を授けることを決して諦めないこと

ちょっと大げさですが、そんな感じです。

『違う』ということを大前提として、母が毎日粛々と理解を深める
そして、その違いにただ寄り添う。

シンプルに、空気を吸うように、当たり前のこととしてその違いを受け入れる

必要なのはそういうことだと分かりました。
と言いながら、そんなに簡単じゃありません。
でも、その覚悟を決めて、ずっと歩き続けるしかないと腹を括れたのだと思います。
本腰を入れて、理解する、学び続ける覚悟を決めて。
今は、「成人はきっと30歳くらい?まだまだ先のこと」と思っています。よそ様より、ちょっと長めの子育てです。
脳の使い方が違う、それを理解して、基準の違うこの現実社会で生きるための対処法を丁寧に伝授しながら、ゆっくりと成長を見守る。
寄り添って、違いを理解して、さらに良き理解者となって、もっと寄り添う。それを繰り返す。

まだまだ辿り着いてない世界ですが、うっすら感じています。
プラスのループのよい感覚を。

ASDっ子育てマイナスのループ
例)マイナスのループ
ASDっ子育てプラスのループ
例)プラスのループ

お互いにがんばっていきましょう。
お疲れ様です。
わたしには、あなたの頑張り、わかります!

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