ASDタイプに…教えるポイント、分かりにくくてゴメンなさい!リライトしました!
ASD子育て

【実例ブログ】ASDっ子育ては、ときどき寂しい

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ASDの息子と噛み合わずに困惑と衝突を繰り返す日々でしたが、特性を理解し、きちんとサポートできる母になりたくて奮闘してきました。
これまでの子育ての学びや気付きをこのブログでご紹介することで、同じ境遇の方のお役に立てたらうれしいです。

息子や夫はASDタイプなのですが、わたしはときどき寂しくなるときがあります。
ASDっ子育て中の皆さんにはありませんか?

グーっと胸に差し込むような、そんな寂しさです。
胸に差し込むなんて寂しさを表現する言葉じゃないかもしれませんが、涙が溢れるような寂しさとはちょっと違う、そんな感じなのです。

ASDっ子育ての“寂しさ”の理由 ~情緒的つながりの希薄さ~

ずいぶん前ですが、友人がSNSで自分の子どもについて「情緒が育ってきたと感じる。」と投稿していたのを見て、ハッとしました。

あぁ、そうか。それだったのか…と点と点が線でつながった経験があります。

息子が幼いときから、ぼんやりと感じていたものの、ハッキリと認識できていなかったことをその言葉がまさに言い当てていました。

息子がわたしを必要としてくれていることは伝わってくるし、愛情も感じるけれど、情緒的なつながりを実感したことがありませんでした

そこに時折なんともいえない寂しさを感じていたのです。

情緒的つながりって?

“情緒的なつながり” というのは、“言外のコミュニケーションで他者と気持ちを通じ合わせる” ようなことでしょうか。

例えば、欲しいと言っていなかったのに、普段のわたしの様子を見ていてそれを感じ取り、欲しかったものをプレゼントしてくれたというような場面。

プレゼントがうれしいのではなく、そうやって知ろうとして、見ていてくれたことに感動するという、心の機微に触れるような交流のことです。

情緒的なつながりを求めるのは、ASDタイプには難しい要求です。

とはいえ、毎日じゃないにしても、大変な子育てのご褒美としてそういう一瞬があったらうれしいと思うのが心情、本音かもしれません。
1年のうちに数回、自分にとって特別な日にその思いが頭をもたげるときがあります。

つながりはあるけど、情緒的ではないのが少し寂しい

我が家の場合、例えばわたしの誕生日や母の日。
息子は何度かカードを贈ってくれました。文面は息子が自分で考えてつくったのだと思いますが、裏では夫が手綱を引いていました。カードに書かれているのは、

『●●をしてくれてありがとう。』
『●●をしてくれてありがとう。』

と、してくれたことへの感謝が列記されています。わたしが彼にしてあげたことへの実質的なお礼ですね。
これはASDっ子の特性がよく表れている文面です。

もちろん、うれしい気持ちもありますが、企画趣旨に反して、少し寂しい気持ちになるのも正直なところです。

ここに書かれていないけどさ、

『ママ、ママっていつもくっついてくるよね?こんなときに贈るママへのメッセージは?』
『もっと伝えられることあるでしょ?』

ってちょっと詰めたくなる自分がいました(笑)もちろんしていませんよ。

手紙を差し出すことに本人の意思がないという点で、余計にプラスじゃないほうの効果が増してしまうので、夫に今後は本人の意思に任せるよう頼みました。
ないなら、ないほうが自然でいいと思ったからです。

正直言うと「もう余計な事しないで!」みたいにプチ切れしたと思います(笑…八つ当たり)

ASDタイプの息子の記念日についての感覚には、世間とズレがあるのだと思います。

誕生日などの記念日は、表面的には物を贈る日のように映りますが、実は違いますよね。
物を贈るのは、愛情や感謝を伝えるためだという、その情緒的な目的部分をまだ息子はキャッチできていないように思っています。

この全世界的な共通認識は、暗黙の了解で成り立っています。
ASDタイプには苦手な暗黙のルールです。

今後、両親以外の誰かと深く関わったり生活を共にする中で、愛がないと誤解されないように、誕生日や記念日はどういう意味を持つのかを上手に伝えていけたらいいなと思っています。

“記念日は物をあげたりもらったりする日” ではなく、

“その人が生まれ、ここに存在してくれていることを感謝したり、共に喜んだりする日” であり、目的は、“大切なその人に、幸せな気持ちでその日を過ごしてもらうこと” である

といつか理解してほしい、そして誰かと温かい関係を築いて生きてほしいと願っています。

寂しさより大切なこと

先ほどのエピソードのような心の交流は、わたしにはこの先もご縁のないものなのかな…

夫との間にもあった長年のそういう類の寂しさと、夫への理解の不足により、夫婦の溝が深まり離婚危機に陥った時期がありました。

確かに、日々のわたしの様子やわたしとのやりとりの中で汲み取って、今欲しいものを贈ってくれるようなことは期待できません。

『うわぁ~!ありがとう!!』

そんなテンションでは、お礼を言ったことがないかもしれません。

そんなとき、なんとなく見ていたテレビでこんな言葉が聞こえてきました。

「優しさを受け取るのも優しさ」

胸に響いて、我に返りました。
この言葉に、夫婦の危機が救われたといっても過言ではありません。

優しい関係は、受け取る側に “しさを受け取るしさ がないと成立しない

そう理解しました。
そうだよな。まったくもって、おっしゃるとおりです。
当たり前のことを見失っていました。

こちらの理想とするようなものとは違うし、社会一般的なものともズレているかもしれない。でも、情緒的なつながりがなくても夫にもちゃんと愛情やしさはあった。
それなのに、ないない言ってばかりいて、受け取れない(受け取る力がない)” わたしこそがしくなかったんだ。

あれはどなたのお言葉だったのか?今になって調べてみました。

それは、岸田奈美さんという方のお言葉でした。
障がいのあるご家族との日々をインターネット上に綴ったエッセイがきっかけで作家になり、経済誌Forbesの世界を変える30歳未満の30人にも選ばれた方でした。
言葉を検索しただけで出てきたので、わたしのように影響を受けた人がたくさんいたということなのでしょう。

やさしさのカタチは人それぞれ。大事なのは奥にあるやさしい気持ちですよね。
何をしてくれた、何をくれた、ではなく…

それをしようと思ってくれたことに感謝できる人になりたいです。

『●●の日』に特別な一瞬がなかったとしても、日々ナチュラルに垣間見える優しさがあれば十分です。
今あるものに感謝して生きよう。備忘録。メモメモ。

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