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ASD子育て

【実例ブログ】ASD中学生の母の3つの苦難3 外言と内言に関すること

ASDの息子と噛み合わずに困惑と衝突を繰り返す日々でしたが、特性を理解し、きちんとサポートできる母になりたくて奮闘してきました。
これまでの子育ての学びや気付きをこのブログでご紹介することで、同じ境遇の方のお役に立てたらうれしいです。

以前、母子間の揉め事の原因はだいたい以下3ジャンルに関することであり、分かっているものの、なかなかうまく対処できない母の苦手分野であることをご紹介しました。

揉め事の原因…母の苦手3ジャンル
  1. 時間に関すること
  2. お金・物への欲求に関すること
  3. 外言と内言に関すること

少し間が空いてしまいましたが、ASD中学生の母の3つの苦難のその3ということで、今回は「3.外言と内言に関すること」についてまとめていきたいと思います。

外言とは?そして、内言とは?

『外言』とは、“がいげん”と読み、以下のように定義されています。

発達心理学,言語心理学の用語。外言語,外語ともいう。外に向って発せられ,他人との相互交渉の用具としての機能をもつ音声化した言葉。思考の用具としての機能をもつ内言と対比させて用いられる。

コトバンク > ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

『外言』に対する用語として、『内言(ないげん)』があります。

人間は、『外言』を獲得した後、ある程度の年齢になると『内言』の獲得へと進み、両者を使い分けていきます。ところが息子の場合、この『内言』の獲得が現時点では不完全なのです。

『外言』は他者と話すときの言葉であって、思考する際は自分の内なる言葉である『内言』を用いるものですが、息子の場合は思考する場面でも『外言』を用いてしまうことが多々あります。

ASDっ子の外言には、こぼれ出た内言が多く含まれている

『外言』を用いてしまうというより、『内言』がこぼれ出て、図らずも『外言』になってしまうといったほうが説明としては正確かもしれません。

誰かに聞かせる意思、意図はなく、当然悪意もありません。あくまでも制御できていないだけです。

『内言』がこぼれ出てしまうのは、ポジティブなシーンではなく、大抵はパニックしているときです。

別の記事で書きましたが、息子のパニックは困っているというより、目前の “自分には対応できない事態” への “憤り” や “怒り” のような負の感情の爆発といった感じなのです。

従って、パニックの過程で流出する息子の『内言』は、正直言って耳触りの良いものではありません。
困惑しながらも事態に対処するために思考を巡らせていることに違いはないのですが…

暴言、後ろ向きな発言が多く、できれば我が子の口からは聞きたくない類のものです。
息子からこぼれ出た『内言』を聞かされることは、わたしにとって快適なこととは言い難く、心的な負担は相当です。

ただ、ここで誤解のないように補足させてください。
身内をかばっているわけではなく、息子が特別に性根が悪いわけではありません。

誰しもそうだと思いますが、表面化している自分と内的な自分が完全イコールな人間はいません。
本心では「こいつムカつく」と思っていても、社会的な判断でそれを内に秘めて愛想よく振る舞うなんていう場合のように。
出すか、出さないかの差でしかありません。
もちろん、出さないに越したことはありませんし、出さないほうが上手く生きてゆけるのは言うまでもありませんが。

内言が外に出るノーコントロールの状態(息子)の図
内言が外に出るノーコントロールの状態(息子)
内言が内に止まるコントロール下にある状態の図
内言が内に止まるコントロール下にある状態

今のところ良くも悪くも、表面化している息子と、内的な息子との同一性はわたしの中では高いと言えます(汗)

自分の中にある言葉を『外言』として発するかどうかは通常はコントロール下にあります。もちろん、コントロールが効かず失敗することは、誰しもあると思いますが、基本的にそれはレアケースです。

ところが息子の場合は、レアケースではなく、わたしへの甘えもあって家庭内ではほぼノーコントロールなのが実状です。

本来は聞こえないはずの、内なる声(内言)が聞こえる、ASDっ子ママの辛さ

かつてのわたしは、こぼれ出た『内言』は、“息子は意図して伝えている” 、イコール “わたしに対する攻撃” のように認識していました。

昔は、喧嘩上等!!というように、売られたら即お買い上げの状態でしたw
いけませんね…

わたしの知っている息子は温厚で、愛くるしい子です。それが突然別人のようになり、人間性を問いたくなるような数々の発言を聞かされることが何より辛かったです。

また、ネガティブな言葉を浴び続けるという、ごく単純な辛さもあります。
息子のパニックが落ち着くまで、延々と続くネガティブな言葉の嵐、時間が過ぎ去るのをジッと待ちます。

本当のところ、耐えがたくなって場が紛糾したことが、これまで数え切れないほどありました。

ずっと聞かされると、精神的にかなり追い詰められます。
できればいったん距離を取りたいところなのですが、こういうときの息子はわたしを追ってきます。なぜなら、『内言』ダダ漏れのパニック状態は自分で上手く止めらず、それは彼自身にとっても苦しい状態であり、わたしに止めてほしいと願っているら追ってくるのです。

でも、自己保全できないとなると、わたしも破綻してしまいます。
残る手段は、いったん攻撃して鎮静化するという荒療治や、逃げ込んだ寝室から力技で息子を追い出すことのみ。そんな対処法しか見い出せない、不甲斐ない母であったことを正直に認めます。

パニックにあるとき、力技を用いると、よりパニックは悪化します。
暴力を振るった!と息子は激高します。
とはいえ、自分の精神状態を守るために、未熟な母には他に為す術はありませんでした。

息子には、力技を用いたことを後できちんと謝罪はしています。
一方で、「でも、ネガティブな言葉を人に浴びせ続けることは、実は言葉を使った暴力なのよ。」「今は難しくても、大人になるまでにコントロールできるようになろうね。お母さんは何回でも付き合うから、お母さんで練習しよう。」とも伝えてきました。

大前提として、本当はパニックさせないことが一番です。今では心得ています。
臨床心理士から、従前から言われてはいましたが、当初はその言葉の意味が本当には理解できていませんでした。随分と時間をかけて、やっと理解できたように思います。

息子に取り組むべき課題がある場合、声を荒らげたりせず、落ち着いて問題に共に向き合い、息子のペースで寄り添って取り組む、それが本当の正解です。

丁寧に、意識的に “穏やかな母親をする” というイメージです。
回りくどく、手間を要するイメージですが、圧倒的に目的地までの所要時間を短縮できます。

内言の役割と思考

「内言が育っていない」とのご指摘は、以前に臨床心理士から受けたものなのですが、それが日常生活でどんなふうに影響を及ぼすのか?を捉え切れていませんでした。

最近、あれこれと考えたり、調べたりする中で気が付いたことがあります。

他の記事で書いたように、ASDタイプは概念的な思考を苦手とする場合が多いと実感していますが、よく考えたら概念的な思考において、内言は当然に必要不可欠だよな…と。

息子と似たような特性を持つ夫も、概念的な思考を敬遠する傾向があり、かつ『内言』の制御が上手くない、つまり『内言』の成熟度に凹があるということを思い出しました。

やはり概念的思考と『内言』は密接に関わっているのだと確信しました。

調べてみたところ、二人の心理学者による思考に関する理論にたどり着き、そこに的確に説明されていました。

ピアジェの理論

ピアジェは、思考には、「1.動作を通した思考や具体的な対象についての思考」と「2.抽象的で論理的な思考」があり、前者には、言語は不要であり、後者は言語によって完成すると考えました。


 そして、「内言」とは、「頭の中で概念操作するために使われる言語」であるとしました。内言の獲得過程において、思考が影響を受け、抽象的で論理的な思考が完成していくと考えました。

心理学用語の学習 https://psychologist.x0.com/terms/147.html

ヴィゴツキーの理論

ヴィゴツキーは、人の思考(高次精神機能)は心理的道具としての記号である言語により媒介されると考えました。

ヴィゴツキーは、外言(社会的言語)とは「他人に話す言葉」であり、それに対して、内言とは「考えるための言語」であるとしました。

心理学用語の学習 https://psychologist.x0.com/terms/147.html

脳内にあるぼんやりとした感情や感覚を “言語化(それが何なのかラベリングして定義)” することで、自分の中で漠然としていた対象を客体化することができる。さらに、客体化することで操作可能な概念となり、思考を深めることができるということだとわたしは理解しました。

息子は、内言が育っておらず、概念的思考の道具を持ち合わせていないがゆえに、今のところは感情や感覚を外言を用いて表出させることで客体化して、対処していたのではないかと考えています。

内言が育っていないというのは、語彙や言語理解の獲得とは別の話で、内的に言語を操作する力が育っているかどうかという話です。
実際、検査(WISC-IV)の結果で、息子の「言語理解」は低くなく、言語による理解・推理・思考力は年相応に習得しています。でも、それを自己の中で扱う力が育っていないということです。

内言よ、育て!今、母と息子で取り組んでいること。

内言の獲得に向けて、何かできないだろうかと、今模索中です。

息子に、内言という概念があることを認識してもらい、まずは概念として持たせることからはじめました。
知らないことについて、考えることはできないからです。

「きみは、今のところ、ほとんどのことを口に出してしまうクセがあるね。それを外言っていうんだって。その他に、声に出さずに心の中でブツブツ言う言葉があって、それを内言というんだって。」

「お母さんは、内言を身に着けてほしいと思っているんだ。お母さんにムカついたときに『死ね!』と心の中で叫ぶのは自由なんだよ。内言を持つと心の中ではいくらでも自由になれるってこと。実際に殺してしまうのは困るじゃない?でも、内言で悪口をおもいっきり言って発散できるなら、そのほうがいいと思わない?」

「内言と “自制” は、実は関係しているんだって。自分にかけるブレーキのことね。心の中で、『あれ?そんなことしていいんだったっけ?』と自分で自分に話しかけられないとストッパーがきかないってことだよ。きみがときどきルールを破ってしまうのは、その声が働かないからじゃないかな?」

「だから、これから、なるべく “心の中でしゃべる” 練習をしよう。」

内言と自制は密接に関係しているようです。
感情的になっているときの悪魔の自分を制御するのは天使の声。その声が言語として内的に聞こえないので、悪魔の一人勝ち状態に陥っているのだと理解しました。

また、ブレーキが効かないから、行きつくところまで行って壁にぶつかることで自分を止めているような、そんな印象を息子から受けていました。

それだと、きっと生きづらいですよね。
自分が、自分とうまく付き合うのに、どうやら内言は不可欠のようです。

内的に言語を操作する力を養うのと並行して、思考の材料である語彙を習得することもしていってほしいと願っており、改めて最近、以下のようなことを伝えました。

「言葉は思考の材料なの。言葉をたくさん持っていると悩みの解決にも役立てられるんだよ。だから、言葉をたくさん吸収するために、お母さんは本を読んでほしいよ!」

続報ですが、息子もタブレットの機能により、読みやすさを実感して以前より読書に楽しく向き合えています。

生きるための思考力、そのための内言をどうか習得できますように。
母もまだまだ勉強することがいっぱいですが、がんばります。

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