敢えての後悔の話をします
発達障がいといわれる子のお母さんとしての子育てノウハウを紹介する優れた情報サイトはたくさんあり、読ませていただくと、すごいなぁとただただ関心します。
でも、性格か?特性か?ノウハウを吸収しても、腹落ちしていないと実践できない質。
なかなか真似できないのが現実だったりします。
余計に自己嫌悪に陥ったりして…
わたしはというと、息子が診断を受けてから、後悔だらけの日々でした。
わたしがもっと賢くてスマートだったら、子どもの負担ももっと軽かっただろうにとたくさんの後悔を重ねて今に至ります。
今もぜんぜんスマートにやれているわけではありません。ちょっとマシになった程度でしょうか。
子育てが下手くそで、失敗ばかりの日々。
でも、失敗しても、失敗しても、また明日からもう一度がんばろうと思うことが何より重要なんだと自分に言い聞かせ、子どもに並走するために、前を向くパワーをどうにかチャージしなくてはなりません。
そのために人に話を聞いてもらいたいけど、でも、やっぱり同じ境遇の人にしか分からない苦悩があって…、それを分かち合えて心底ホッとできる機会に恵まれることはあまりありませんでした。
そんな感じで結局ひとりで抱え込んでいる人も多いのではないでしょうか。
優れたノウハウより、失敗談のような情報のほうが、『あぁ、わたしだけじゃないんだな』と思えて安心できたり、もう一度明日からやり直そうって思えたりするような気がして、わたしは、あえて後悔したことや失敗したことの具体例や、振り返ってどう思ったのかの実感をメインにこのブログに記していこうと思っています。
診断後 ASDママ初期のわたしに後悔
診断後の1年間くらいは
「この子を治してあげたい」「きっと治る」
そんな風に思って、いろいろな書籍、インターネットの情報を読み漁っていました。
あれを食べさせるといい・・・
このサプリがいいらしい・・・
こんな運動がいいらしい・・・
あれがいけないらしい・・・
欧米では、脳科学的なアプローチから投薬をして治療している機関もあるらしい・・・
そんな情報に過敏に反応して、とにかく必死だったなと振り返ります。
母親である私が「治すことに必死だったこと」は、我が子にとっては完全にマイナスだったと思います。
この子のために…という気持ちはあの頃も今と変わりありませんが、パワーの使いどころが間違っていたなとつくづく思い返します。
なぜ間違っていたと振り返るのかといえば、子どもを毎日否定しているのとほぼイコールだからです。ありのままではいけないと思われていることを、幼いながらも感じ取っていたのではないかと思います。
そんな残酷なことはありません。
それに気づくいたとき、深く深く後悔しました。
本当はもっとやるべきことがあったのに。
今はASDは障がい(病気)とはちょっと違うと思っています。
だから「治す」という方向への熱量はすっかりなくなりました。
現時点で定型発達とされている枠(基準枠と表現します)には収まらない、タイプの違う脳の持ち主というような理解をしています。
診断がくだった直後の自分に「母親であるわたしがすべきことは何?」と問われたら、
我が子は、基準枠にはどうやら収まっていない・・・まず、これを受け容れよう。 良し悪しでも、優劣でもなく、ポイントは『違う』ということを常に意識して生活すること。 この世界は息子が収まっていないほうの枠が基準だという現実を受け止めて、 そして、今のところ我が子がそっちの枠に寄せて生きるしかないことを理解しよう。 我が子は何もおかしくない、何も悪くない。 でも、我が子はとても大変な運命を背負ってる。 我が子が大変なら、全力でサポートすることだけ考えよう! 以上!!
って今のわたしは伝えたいです。
徹底的に味方であること。
それを前提として、頼りがいのある解説者、通訳者であること。
自分の感覚の世界が、他の世界とズレていることなんて、小さな子どもには理解できません。
でも、俯瞰で見ている親ならそれをある程度、構造的に理解することができる。
現実の、この世界でうまく生きていくための知恵を授けること。
ズレを解明して、分析して、より良い解説者、通訳者になること。
それが私の仕事だと今は思っています。
これまでの子育ての学びや気付きをこのブログでご紹介することで、同じ境遇の方のお役に立てたらうれしいです。