今回は、カサンドラ症候群だったわたしのお話です。
カサンドラ症候群というのは、夫婦の一方がASDタイプである場合に、ASD特性により夫婦間の心の交流が持てないがために、他方のパートナー(夫・妻)に生じる心身の不調のことです。
そんなわたしに、先日うれしいことがありました。
こんな気持ちになったのは、はじめてかもしれません。
そういう気持ちになった背景から…。よかったらお読みください。
昨年、実は我が家は離婚危機に瀕していました。
ピーク時には、夫と会話すると過呼吸になるなど、身体に影響が出るほどに事態は切迫していました。
でも、今は穏やかな日々を送っています。まるで昨年に起こったことが嘘のようです。
何が変わったというわけでもなく、実はただ単にわたしのものの見方が変わっただけなんです。
自分と同じだと思って見ていた相手が、実はまったく違うものだったんだ…と腹に落ちたことで、劇的変化が訪れました。憑き物が取れたような(笑)
夫に対するわたしの見方が変わってから、負の感情はほとんど湧かなくなりました。
夫婦間にあった違いはどんなものだったのか、そして、わたしがどんなふうに夫への見方を変えたのか、そしてそのことにより訪れたうれしかった出来事についてお伝えしていきます。
【実例】理解不能、意味不明。こころが通わない結婚生活のはじまり
夫婦になって十数年。わたしにとって何が問題だったのかというと、彼の行動がわたしを大切にしてくれている人の行動とは思えなかったことです。
彼がわたしを好いてくれているのはなんとなく伝わってくる。彼がわたしを大切に思ってくれていることはなんとなく伝わってくる。うっすら感じ取れるというのが正しい表現でしょうか。
つまり、好意は感じるけれど、厚意は感じないということ。
おもいやり、親切さ、そういうものがまるで存在しないという感覚です。
でも、結婚生活を維持するには厚意は結構重要なのは言うまでもありません。
わたしのことが大切じゃないんだろうか?と毎日のように思う生活。それを十数年。
愛情を信じきれないのが辛かったのだと思います。
例えば、結婚直後、二人のペースに慣れるまでの期間は、本当に大変でした。
夫は超のつくマイペース、マイワールド状態で、一切と言っていいほどに歩み寄りが感じられませんでした。夫婦で新しい生活をするにあたって “話し合いをしましょう” という友好的、建設的な空気感はまったくなく、そもそも話し合いが成立しませんでした。
理解不能、意味不明でした。
なぜ???
自己中?傲慢?男尊女卑?
釣った魚にエサはやらないってことなの?
家政婦を雇った感覚?
やさしい人だと思っていたのに、なぜ??
自分の存在を軽んじられているようで、深く傷つきました。
当時何が起きていたのか、夫がASDタイプとはっきり理解した今は説明できます。
妻をカサンドラにしてしまった、ASDタイプの夫の脳内で起こっていたこと。
ASDタイプの夫は、変化が苦痛。だから歩み寄りたくない。
ASDタイプの夫は、変わりたくない人。変化には苦痛が伴うからです。
でも、自分が変化に適応することが困難な特性を持っている自覚はありません。
つまり、感覚的に、自分が “変化が好きではない” ことは知っているけれど、他人に説明できるほどには自分の中で認知できていない、概念化されていないということです。
しかし苦痛を回避する必要性がそこにあることにに変わりはなく、かといって相手の理解を得るべく説明することができないので、それ以外の方法で自分の望ましい方向にもっていくしかありません。
長い年月をかけて夫なりに習得した術なのかもしれませんが、夫の常套手段は以下のようなものでした。
- 自分が歩み寄る(変化する)必要性から目を背け、お茶を濁す。
- そういう話題が出たら、それとなく、のらりくらりと回避して話題を変える。
- 静かに、頑なに変化を拒みながらも、愛嬌でカバーしつつ相手が諦めるのを待つ。
いずれも、相手を煙に巻くような、もしくは相手の方が折れるのを期待して、なし崩しを目論むような手法です。改めて書き出してみると、詐欺師のやり口みたいですね(笑)。
「妻はそんな自分をきっと受け入れてくれる、きっと何とかなる」と盲目的に信じるような…もはや本能的に動いている感じでしょうか。
時々会う仕事関係の人や友達になら通用するかもしれませんが、同じ屋根の下に暮らし、運命と生活を共にするわたしには受け入れがたく、残念ながら夫の願いに応えることはできませんでした。
歩み寄り回避作戦はあえなく失敗に終わり、妻は夫に対話を迫ります。
ASDタイプの夫は、対話は困難。だから話し合いは全力回避。
ASDタイプの夫は、そもそも歩み寄りに不可欠な対話が根本的に好きではありません。
対話を徹底的に、全力で回避していました。
それは、抽象・概念的な話をする(概念を捉える)のが困難だからです。できないことなので、拒絶に等しい反応を示します。
対話を求める妻から逃げられなくなって、いざ対話し始めても、対話スキルのない夫に勝ち目はなく・・・負ければ、歩み寄らなくてはいけなくなる!そんなのは困る!・・・ということで、苦し紛れの荒手の戦法に出ます。
- 話の本筋に関係のない点について揚げ足を取る。
⇒意図してやっているのではなく、細部着目の特性から、そうなってしまう。 - 話の主題から話を逸らす。
勝てそうなポイントを見つけ出して、そこを一転集中で反撃する。
例)わたしの態度、ものの言い方に論点をすり替える。
⇒話の脈絡を辿るのが困難なため、そういう戦法を取らざるを得ないようです。
また、人の気持ちを掴みにくい特性から、対話を拒絶される度に、わたしが “ないがしろにされていると感じて傷ついている” ことにも想像が及ばないので、夫婦関係への課題意識がなく、話し合いの必要性もまったく見出せていませんでした。夫婦間の溝は開く一方です。
自ら考えてほしいがために、女性がよくやりがちな「どうしてなの?」という類の投げかけは、彼には理解ができません。だって、本当は要求なのに疑問文…
要求だとは分からず、質問に答えようと、(対話で答えを見出そうとするのではなく)自分の脳内で正答を探しはじめます。でも、自分の脳内にある、今必要な情報にアクセスするのも得意ではありません。だから永遠の沈黙(フリーズ)となってしまいます。
わたしからすると、話し合いはよくわからないタイミングでブチっと打ち切られ、拒絶で締め括られたと認識し、さらに溝が深まるということが繰り返されていました。
わたしには二人の関係上の問題が山積みに見えるけれど、彼の世界では何も起こっていない。
それほどの相違があるということなのです。
そこにあったのは、価値観の相違ではなく、脳の使い方の相違、認知の相違
その後も幾度となく話し合いを持ちかけても、話し合いは成立せず、平行線を通り越して完全に噛み合っていませんでした。
以下の記事で対話の苦手さの詳細をご紹介しています。よかったらお読みください。
夫の脳とわたしの脳の相違の存在に気付いて脱したカサンドラ
そして、争乱期の最後、彼は自室に逃げ込むようになりました。
何か問題が生じているのは分かっている、でも、それを捉えることはできないから対応も不能です。彼にとっても生命危機レベルのストレスであって、自分を守るしかなかったのです。
彼の特性について腹落ちしていなかった当時のわたしには、それは不可解で、十数年の結婚生活を修復しようともせずに逃げ込むのか…とこれまでにない絶望感を抱いていました。傷つくなんてレベルはとうに越えていました。本当のどん底です。
もう、本当に離婚するしかないのかな。
離婚後のことについて本気で調べ始めました。
当時、正直嫌悪を通り越して、憎しみの感情が溢れかえっていましたが、でも、なぜかどこかで100%嫌いになれない自分がいたことにも気づいていました。
悩んで悩んで、あるときふいに憑き物が取れたように、『違いの存在』をすっと認めることができるようになりました。
不思議なもので、どん底まで行くと人間は這い上がるようにできているのかもしれません。
それ以上(以下)、どこにも行けなかったので上がるしかなかった(笑)
息子の特性を深く学んでいくうちに、だんだん夫のことも分析できるようになってきたことが大きかったと思います。そして大きかったのは、診断があるとかないとか(夫は診断なし)、そんなことはどうでもいいことだと、不意に思えたことだと思います。
できないようには見えない。でも、できない。
違う。ただそれだけ。
悪意はない。
敵意もない。
ないがしろにもしていない。
愛情を搾取していたわけでもない。
愛情がないわけじゃない。
「本当にできなかったんだ」と思えたのが、地獄から生還できた理由だと思います。
同じ言語で話して、同じ国、同じ文化のもとに育ってきた。だから肌感覚で同じものだと思っていた。同じだと思っていたから、
こちらの基準で考えると悪意とも受け取れるようなこと、マナーに反するようなこと、そういうことに傷ついたり、腹が立ったりしていた。
それが、本当に違うのだと気づいてから、何も変わっていないのですが、自分の中の何かが明らかに変化しました。
それ以降は、異文化交流と同じような意識でいます。
相手(の特性)を理解して、相手が分かるようにコミュニケートするよう努める。
通訳も辞書もないのでとても難しいのですが、異なることが分かっていればその前提で向き合うことができます。感情が波立つことはなくなりました。
以下記事では、脱カサンドラに至るまでに、わたしが夫の特性をどう理解したのか?の詳細をご紹介しています。
そんな夫婦の、妻に起きた “うれしかったこと”
長い間、愛情をずっと疑って確信できなかったわたしに、ちょっとうれしいことがありました。
先日、酔っぱらって帰宅した夫が突然こんなことを言いました。
今日も(息子のこといろいろ)ありがとうね。
(妻:ん?)
酔っぱらうといつも反省するんだよ。
まだまだだよなって。
(妻:ん?何が?)
おれと結婚してよかったって思わせてあげられてないよなって。
(妻:!!!!!)
照れくさくて、「初耳だよ、じゃ、もっと飲ませないとね」としか返せませんでした。
そんなことをサラリと言う人じゃなかったし、一度でなく何度も(?)思っていたこと、結婚して十数年を経てすっかりおじさんとおばさんになった今、まだそんなふうにピュアに思ってくれていること、いろいろに驚きました。
息子のいない土曜日のお昼時、最近では自分でテキトーにどうにかしてなんて、ないがしろにしたりして…。息子がいないと、お昼ごはんもつくってもらえない現実を黙って受け入れていた夫。
たまには優しくしないとなと少し反省していた矢先のことだったので、自分の不純さと夫のピュアさのギャップに、ある意味衝撃を覚えました。
本当に、やさしいんだよな。
それは、小手先のやさしさじゃない、純粋なやさしさ。
結婚が破綻しかけた、あの岐路の手前で、実はいろいろな言葉や音楽との出会いがありました。
これまで、夫婦関係を維持するために歩み寄ったり、努力したりしてるのはわたしばっかり!
わたしは、ずっとそんなふうに思っていたのですが、
「与えられるものは与えられたもの、ありがとうって胸を張ろう」
というある曲の歌詞が、なんでなのか分かりませんが、すっと腹に落ちて、もう一度やり直そうと思う力をくれました。
今回のこの夫の言葉からも、やっぱり、与えられていたんだなと改めて実感しました。