例えば、将来、ASDタイプがサラリーマンになる…はどうなのか?
息子はASDの診断あり、わたしは未受診ですが特性自覚ありです。
わたしはサラリーマン家庭で育ち、サラリーマン以外の道を模索することもなく、サラリーマンになったくちです。そして長いことサラリーマンをしていました。
なぜそうなったのか?わかりません。
自己肯定感が低く、生きているだけで精一杯だったので夢を描く余裕などなかったからでしょうか(笑)
そして、今。
わたしはサラリーマン人生に終止符を打ち、フリーランスで仕事をしています。
それはなぜか?理由は2つあります。
ひとつは、組織人はやっぱり向いていないと思ったから。もう十分がんばったのでお腹いっぱいです。
もうひとつは、お給料をもらうのではなく、自分で稼ぎ出す経験を得たかったからです。
実感として、ASDタイプのサラリーマン親和性(適正)はあまりない
率直にいって、ASDタイプはサラリーマンへの親和性(適正)はあまりないと思います。
サラリーマンとして評価されている人を表すキーワードは例えば、
協調性がある、コミュニケーション能力が高い、バランス感覚に優れる…など
どれもこれも、ASDタイプの対極にあるワードたちです。
当然ですが他者とより良く協働する能力が最重視されるのがサラリーマン社会。
上の例のような能力が長けた人がサラリーマンに適しているのは言うまでもありません。
組織の中で多くの人と円滑なコミュニケーションを図り、時間制限のある中マルチタスクをこなし、空気を読みながら、暗黙の了解の中で、正しくないと思っても理不尽や不合理をちゃんと飲み込む
この例からも、ASDタイプにはかなり高い山です。チョモランマ級です。
組織の中で、このような活動ができてはじめてお給料がもらえる職業です。
わたしも、人との接触が嫌とまではいきませんが、他者と一定の距離があったほうが楽なようです。
なんならコロナ禍の今、人と隔絶されがちなこの状況がそんなに苦ではありません。
そんな自分の経験や実感もあって、息子にはサラリーマン以外の道も視野に入れてほしいと思っています。
それで、なぜわたしが脱サラする必要があったのか?についてですが…
将来よきアドバイザーになれるよう、脱サラしてみました
それは、わたしの歩んだサラリーマン街道は息子にぜんぜんオススメじゃないのに、無意識に息子をサラリーマン街道のほうへと誘導してしまっていた自分に気が付いたからです。
サラリーマン街道のほうへ…とは、つまり学歴社会で勝ち抜くことを暗に求めるような感じです。
サラリーマンになるためには、なんだかんだいって学歴は必要ですが、もしサラリーマンにならずに自分で稼ぎ出す道を歩むのなら、学歴なんてほぼ必要ありません。
人間は自分が来た道を良しとしてしまいがちな生き物なのか、はたまた知らない世界に我が子を送り出すことに恐怖心のようなものがあるからなのか…
ASDタイプがサラリーマンに親和性がないことを身をもって感じているのに、おかしな話です。
ASDタイプは、好きなことを見つけて没頭することで脳が発達すると思っているので(実体験より)、とにかく寝食を忘れるほど好きなことを、なるべく早めに見つけてほしいと常々思っていたはずなのに。
まず、息子の自由選択を阻む可能性のある、このおぞましい自分をどうにかしなくてはと思いました。
サラリーマン以外も経験して、息子の進む道について本当にフラットにアドバイスができるようになりたいと考え、脱サラに挑戦することにしました。
もちろん、サラリーマンになりたいのなら、なったらいいと思います。
息子がサラリーマンにチャレンジしたものの、やはりドロップアウトするというときには
『サラリーマンじゃなくてぜんぜん大丈夫よ?お母さん、やり方わかるし。脱サラしてみれば?』
といった具合に、余裕で路線変更をサポートできる母になりたいと思ったのです。
なれるかはさておき。
フラットな自分でいられるよう努力するのは、子どもにとってのベストに心から賛同して、そして背中を押してあげられる、母というよりはプロデューサーのような存在でありたいと思ったからです。
ASDっ子の母がなるべきは、良きプロデューサーなんだろうと思います
最近では、ASDタイプと思われる著名人のご活躍をよく目にします。
幼少期の“好き”からはじまって、今では学会で認められるレベルで海洋生物に精通され、結果的に立派にご職業とされたあの方のように、我が子が好きに巡り合って職にできたらいいなと勝手に思っています。
あの方が、今に至るまでには、お優しく聡明なお母さまの的確なバックアップがあったことは世に知られています。
わたしもそんな風に息子の名プロデューサーになれないだろうか…
とずっと思っています。憧れに近いですが(汗)
好きをプロデュースしたいと強く思うようになった背景
ASDタイプの特性のひとつとして、興味関心のないことには脳が機能しづらいというのがあるようです。
この点について、わたしにはものすごく身に覚えがあります。
関心のないものに対しては、集中を持続するための何かの機能が働かない感覚です。
ASDタイプは、ルールがあれば従いたくなる性分なので基本的に真面目だと思いますが、どんなに真剣に取り組もうとしても脳がフリーズして機能してくれないときがあり、学齢期にとても悩みました。
基本的に学校の勉強は興味が持てるものが少なく、取り組むにはかなりの努力を要しました。
自分で言うのもなんですが、努力家だったので成績は悪くありませんでした。
でも努力でカバーできるのはせいぜい中学くらいまでで、高校になって完全に限界値を超えてしまいました。
以降は無力感と欠落感とともに生きる日々でした。
自分はやっぱりダメなんだと。
それが、社会人になってとある職業に就いたことで、『あれ?自分はそこまでダメでもない?!』と思えるようになりました。
2社目のIT系企業で希望だった企画職に就くことができ、そこで自分の好きなことに取り組めた結果、自分でも気づいていなかった能力を発揮することができ、かつ社会的な評価を得ることができたのです。
IT系の業界は人的ミスをなくすことを目的として、暗黙の了解で感覚的に業務を遂行するより、情報やタスクを明確にして情報共有を体系的・合理的に実行するような文化が定着していたこともあり、ASD特性のあるわたしにはとても居心地のよい環境でした。
職種に恵まれただけでなく、環境にも恵まれたのです。
適した環境の中での、好きなこと。条件が整っていればいくらでも集中できます。
自分の知らない自分の力を知り、自分でも驚いたくらいです。
好きなら頑張れるんだ。
興味があれば脳みそも動いてくれるんだ。
怠け者のダメ人間じゃなかったんだ!
そんな風に思えて、本当にうれしかったです。
はじめて自分に自信のようなものが持てました。
この他にも、関心領域であれば力を発揮することができるという経験を何度かしていますが、中でも驚いたのは、自分で自分が“発達している”感覚を覚えたときのことです。
それは30歳を優に超えた、ずいぶんいい大人になってからの出来事なのですが、前よりスムーズに物事が考えられるようになったり、処理速度が明らかに速くなったりしている自分を実感しました。
端的に言えば頭が良くなった感覚があったということです(笑)
脳のシナプスがつながってきた感覚があるというのでしょうか(あくまでイメージですが)。
好きなことを経由すると、嫌いなこと・苦手なことでも脳が機能してくれるということを身をもって知りました。
※訂正)後に、発達したのではなく「方略を見出して攻略できた」感覚だったのだと分かりました。詳しくは以下に記載しています。
ASDタイプは、サラリーマンへの親和性は高くないけれど、“好き”にハマれば社会で十分に活躍ができるということです。下の記事は別の角度からそんな話をしています。宜しければご一読ください。
先程の海洋生物の方の例もありますが、自身のこういった経験から、やはり本来的には好きをプロデュースするのがいちばん的確な親業のあり方なのだろうと、確信しています。
息子には、無我夢中になれる大好きなことを見つけてほしいと心底思います。
『好き』の傍にいてほしい。
今は、とにかく息子が好きなことを発見するためのサポートがなにかできたらいいなと思っています。
ASDタイプの人は、突出した才能を持って生まれることもあるようですが、我が子の場合は、そういう要素は見当たらず今に至ります。
うまいこと巡り合わせてあげられなかったのかもと後悔することもあります。
息子が幼い頃に、わたしが母として取り組むべきは、
- 息子の好きを探すことに労力を割くこと。~息子の心がウキウキするほうへ~
- もし見つかったら、その好きに触れる機会をたくさん設けて、好きをもっと増幅させて、息子の全体的な能力を底上げしてあげること
でした。
もう中学生になってしまったけれど、まだ間に合うだろうか?
間に合うかもしれないから、やはり学歴社会に囚われるのはやめよう。
備忘録として、つらつらと書き連ねてみました。
これまでの子育ての学びや気付きをこのブログでご紹介することで、同じ境遇の方のお役に立てたらうれしいです。