ASDタイプの息子との日々、まだまだ分からないことだらけで、迷走することもしばしば。
今回は、母の力不足で、息子に悲しい思いをさせてしまった母の反省の話です。
ASD特性を意識しすぎて、先入観で見てしまっていた “悪い実例”
ASDタイプの息子は思っていることを口頭で表現するのがとても苦手で、自分の意図した通りに伝わらないことが多いのですが、その特性への意識が、息子と向き合うときに「息子の話し方がうまくない」という先入観となって失敗してしまいました。
習い事からの帰宅後、国語のテストの報告をしてくれた息子。
実際の報告は以下のようなものでした。
「問題読んでさ、一問目で下線部について答えなさいってあってさ、(下線部がどこなのか)ぜんぜんわからなくて、30分くらい探してさ、裏見たら、違う問題を見てたって気づいたんだよね!で、そこからメッチャ集中したからすごいできた!」
この報告をしているときの息子は、楽しそうでした。
末尾も“すごいできた!”とポジティブに括られていることから、きっと“よかったね!”というようにポジティブに反応してほしいことはわかっていたのですが、なんとなく抵抗感がありました。
なぜなら最後の一文を除けば、ほぼ失敗談であり、わたしはそちらに着目してしまっていて、手放しで共感する気になれなかったからです。
最近、共感力を発揮することがわたしのテーマとしてあったので、自分の中の抵抗感に抗いながら、「よくできたのはよかったね。」という言葉をどうにか口にしました。1問に時間をかけすぎないことを何回も言い聞かせているのに…という苛立ちもあって、楽しい話として反応することに抵抗感があったのだと思います。
続いて、「でも、1問目に30分もかけたらダメだよ、たまたま間に合ったからいいけどね。次は分からない問題に直面しても、一定の時間がきたら他の問題に取りかかろうね。」と話しました。
ASD特性(衝動・こだわり)上、1問目から順番に解いていきたい気持ちをなかなか手放すことができません。
後日、このことについて、臨床心理士さんに話をしたところ、痛いご指摘を受けました。
【実例】母、自分の共感力のなさを思い知る
息子は今日起きた冒険の話をしていたのに、母が失敗体験にしてしまった
と臨床心理士さんからご指摘を受けました。
本当だ。そうかもしれない。自分のダメさ加減が情けなくて泣きたくなりました。
わたしが失敗談と捉えた前段は「こんなことがあってね、それからあんなことがあってね、で、こんなことが起きたんだよ!」と今日の冒険をドラマティックに物語るために、息子にとっては欠かせない構成要素だったのです。困難を乗り切った充実感やうれしさをより引き立たせるための要素だったのに、そちらに違う意味で着目して、結果的に反省点として認識させるという失敗体験にしてしまったということです。
また、この指摘を受けるまで、“ブツブツと文が途切れてしまっていて、説明がうまくないなぁ”と思っていました。ASDタイプならではの特性で、話し方が時系列、事実ベースだから話にまとまりがないのだと。息子に落ち度がある前提で向き合っているので、フラットに話を聞けていなかったことにも気付かされました。
そんな人と話していても、楽しくもなんともないですよね。
ごめんよ、息子。
数日後になってしまいましたが、「お母さん、この間の話、聞き方が下手くそだったね。あなたが冒険のように困難を乗り越えた話だったのに、ごめんね。」と謝りました。
教えてもらっていないことは知らない、学び取ることは難しい。
この特性をケアすることに捕らわれすぎて、「ちゃんと教えなくちゃ」という気持ちが最近強く出ている自分にうっすら気が付いてはいたのですが…。
わたしは今、責任感が強すぎてバランスが悪く、共感力が弱いんだなとしみじみ思いました。
また、そもそも共感ってなんだったっけ?
ふと疑問に思い、はっきり捉えられていない自分に気が付きました。
共感って?同意との違いは?
あれ?同意と共感ってなにが違うんだ?
調べてみると、同意と共感は明確に区別されていました。
息子の発言の内容に、一部賛同しかねる部分があると、間違ったことを息子に教えてはいけないという責任感から、わたしの中に同意することへの抵抗感がめばえます。同意と共感を区別できていなかったので、共感することも憚られていたのです。
共感は、相手が「事実をどう受け止めているか」だけをそのまま尊重する態度
同意は、話の内容(コンテンツ)に賛同すること
だそうです。具体的に言うと、
あの人、すっごい嫌な人なんだよ! ← へぇ、嫌な人なんだ!
あの人、すっごい嫌な人なんだよ! ← 嫌な思いをしたんだね。
「テストができてよかったね。」だと共感とはちょっと違っていたのですね。
話し手である息子との会話を楽しんでいない母も滲み出ています。
息子の話のトーンや表情から、“テストのときに、あんなことやこんなことがあって、ハラハラドキドキして冒険みたいでちょっと楽しかったし、結果オーライで気分がよかったんだな” と想像して、それを一緒に共有して、「それはスリリングだったね!間に合ってよかったね。」というように、聞き手として何かを評価することなく、あくまでも相手の感情や感覚を共有する姿勢を見せるのが共感なのだと理解しました。
「あのね、お母さん!聞いて!」とまた思ってもらえる聞き方、姿勢ですよね。
今回の事例でいうと、まず、こちらも息子との時間を楽しむつもりで思いっきり共感する。
その後、間をおいて、できれば別日に口頭ではなく文字で整理して、1問への時間配分のアドバイスができたらよかったのかもしれません。失敗体験にしないように。
話を聞いてもらいたいと思わせる聞き手でないと、この先息子が困ったときに助けを求める対象から外されてしまう可能性があります。
信頼関係をキープすること、息子がひとりで悩み苦しむ状況・環境をわたし自身が生み出さないことに留意しなくてはと改めて反省しました。
と、至らない母の参考事例でした。
どなたかの何かのお役に立てればうれしいです。
以下、共感と同意の区別の説明がとても分かりやすいです。ご参考までに。
共感と同意はどのように違うか
(外部リンク:大阪神戸の心理セラピー・カウンセリング Prado)
これまでの子育ての学びや気付きをこのブログでご紹介することで、同じ境遇の方のお役に立てたらうれしいです。