我が家では、ASD診断ありの息子、わたし(母)にAPD(聴覚情報処理障害)の特徴があります。
2人とも診断が下りているわけではありませんが、症状は共通しています。
APDとASDの特性を併せ持つパターンが少なくないようです。
今回はAPDとは具体的にどんな状態なのかのあるある例を3つと、またわたしなりに身に着けてきた対処法2つをご紹介します。
先日息子がAPDについて受診したときのことを別の記事で綴っていますので、よろしければご一読ください。
APDあるある【例1】『聞こえてるのに、聞こえない』
『聞こえてるのに、聞こえない』
これがAPDの症状を表現するもっともポピュラーな説明だと思います。
「音としては聞こえているのに、日本語として(意味を)捉えられない」と補足すれば分かりやすいでしょうか。雑音、自然音と同じようなものにしか認識できないということです。
わたしの場合は、発話者に対して好意(関心)を持っているかどうかも聞こえに影響します。
好きな人の場合は集中を向けるモチベーションを維持できるからだと分析しますが、嫌いな人の話をキャッチしようとすると、ものすごく意識して集中力を維持する必要があります。話の内容に関心がないと事前に分かっているときも同様です。
対処法1 記憶と理解を分ける
生きるうえで習得した術は以下のようなものです。
正直、とっても難しいです。情報量が少ないことが前提の対処法になります。
実効性に乏しくてごめんなさい。
ですので、絶対に聞き漏らしてはいけない社会的な場面では「メモを取る」の一択です。
これは話し手への誠実な姿勢としても評価されるので、「念のため確認させてください。」といったお願いをしやすい空気をつくることができ、その点でも有効な対処法です。
メモを読み上げながら、聞き洩らしたところだけを確認すれば、“何ら悪意のない単純なミス” として受け止めてもらえて、問題に発展しにくいと思います。
対処法2 自分の居場所に、メモを取る文化を根付かせる
以前勤めていた職場で、指示をするときに必ずメモを渡してくれる上司がいました。
特性のあるわたしにはとてもありがたかったです。
今にして思うと、もしかして上司にも特性があったのかもしれません。
そう仮定すると、賢い方法だと思いました。なぜなら・・・
伝達事項を “メモにして渡してくれる人=親切な人” という印象を持ちませんか?
実際、わたしはそう感じて、同じように丁寧に対応しようと思い、伝えたいことは口頭だけでなく自然と付箋に書いてお渡ししていました。
相手に特性があるないに関わらず、情報伝達の正確性が上がり、ビジネスシーンでは好ましい行動であって、誰も否定的に捉えないのではないでしょうか。
自分の周囲に “書いて渡すのが当たり前の文化” を定着させられたら、しめたものですよね。
APDあるある【例2】環境によってはまったく聞こえない
大規模な集会(大宴会・パーティ)は得意ではありません。
ワイワイガヤガヤしている環境では、会話の相手の声をほぼ聞き取ることができないからです。
音声は雑音の中に完全に混ざり込んでしまって、識別することができません。
集中力をフル稼働しても聞き取れる限界は4人掛けテーブルで同席している人の声くらいでしょうか。
その距離感であっても、全部聞き取るのは難しいです。
どうやら皆には聞き取れるようなので、何度も聞き返すわけにもいかず、周りの雰囲気に合わせて笑ったり、驚いたりして聞こえているフリをしていました。
楽しいはずがありません。
でも、カフェなどザワザワしているところで勉強するのは、逆に効率が上がったりします。
なぜならガヤガヤしている環境は人の声も物音もすべて一律で雑音となるので、何も耳に入らない状態となり、勉強に集中できるからです。
逆に図書館では静寂の中でページをめくるカサカサ音や他人の咳払いなどに耳が過敏に反応してしまい、集中を削がれる傾向があります。
残念ながら、このあるあるに関しては対処法は見つけられていません。
どうやらAPDの人のためのイヤホンもあるようですが、我が家では現実に合わせてなんとか対処する方針を今のところとっています。
※APDの専門家は日本国内でかなり限られており、専門でない耳鼻科の医師のによるADP診療であっても予約がぜんぜん取れない状況です。
年を取るとそういう機会も激減しますが、若い頃は楽しい場に同席だけでもしていたいという気持ちがあり、聞こえてなくても参加していたかもしれません。
今は誘われても丁重にお断りします(笑)
【APDあるある例3】曲の歌詞は、歌詞カードを見ないとわからない。
息子のためにAPDの症状などについて、改めて調べていて、愕然としたのは先日のことです。
APD当事者だという方の『曲の歌詞に関するエピソード』でいくつか同じようなものを目にしたからです。
- 歌詞が覚えられない。
- 聞いただけでは、歌の意味がわからない。
意識したこともなかったのですが、まったくその通りで、長年生きてきてそれが当たり前だと思っていたため…
普通は曲を聞きながら同時に歌の意味に感動しているってことなのか!!?
と、驚愕しました。
わたしは歌うことが好きなので家でもよく口ずさんでいるのですが、口ずさめるようになるまでには同じ曲を相当リピートして聞かなければなりません。
歌詞は “単なる音” として覚えていることに今さらながら気が付きました。
どういうことかというと、言葉として覚えているのとは違って、意味づけされていない音の集合体として記憶しているということです。先述の「リンゴガコロガッタ」の状態のまま暗記してるに過ぎないということです。
ところどころのキーワードに感動することはあっても、歌詞全体を理解していない自分を改めて認識しました。
興味を持った曲の歌詞をネットで調べて読んだことはありますが、基本はそんなことをしないので、メロディと所々のキーワードに感動していたということになります。
なんだかさみしいような、複雑な気持ちになりました。
これには対処もなにもありませんが、せっかくなので、もっとネットで歌詞を見てみようかなと思いました。
まとめ お子さんにAPDの傾向があったら
ご紹介した例のように“記憶する必要性を伴うヒアリングのとき”に困難を強く感じます。
静かな環境での普通の会話ではほぼ支障はありません。
上記でご紹介した通り、ものすごく集中力を必要とする聞き取りがあった日は、疲労困憊します。精神疲労というやつです。
お子さんが疲れていたら、もしかすると聞き取りの苦労が多い日だったのかもしれません。
どうか、たくさん労ってあげてください。
これまでの子育ての学びや気付きをこのブログでご紹介することで、同じ境遇の方のお役に立てたらうれしいです。